【重要】
このたびの能登半島地震により被災された皆様、ならびにそのご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
被災された皆様の生活が1日も早く平穏に復することを、お祈り申し上げます。

病院外で活躍する先輩インタビュー 「看護師として大切なことを学ばせてもらえた」

看護学生のみなさんに、多様なキャリアを知っていただくべく、病院外で活躍する先輩インタビューを連載でお届けしています。 
 

本記事のポイント 

1.就職先選びの視点/長谷川さん編
2.思いがけない課への配属が看護観を作る 
3.治す以外にも見出したやりがい  
 

今回お話を聞いた方  長谷川みゆきさん  

略歴

2012年に大学卒業・看護師免許取得後、6年間病棟で看護師として勤務ののち、クリニックで訪問診療同行看護師として勤務。 結婚・出産を経て、バランスボールでの産後ケアに出会う。  

現在は、デイサービス看護師 兼 機能訓練士としてのお顔と、産後ママや子育て中のご夫婦向けのレッスンや講座を開催するインストラクターとしての両方のお顔を持つ。 

 

新しいところへ行きたい、から始まる就職先選び

 
就職先の病院は、どのように決めたんですか? 
 
まず、実習先の病院ではないところに行きたいと思っていました。 病院や患者さんの雰囲気を想像できる、慣れ親しんだ場所ではなくて、社会人としての生活がはじまるなら、新しいところに行きたいなって。 
 
あるとき、大学の部活の先輩が「一回見においで」と言ってくれた病院に行くんですけど、実はその日にこの病院にしようと決めました(笑) 
 

決め手は、「雰囲気がまったく病院ではなかったから」 

ステンドグラスが受付にあってきれいだったり、色味も病院らしい白い感じではなくてオレンジ・茶色といった暖色であったかい雰囲気もあって。 「病院っぽくないところで働きたいって思ってたんだな」って気づいたので即決しましたね。 
 
「新しいところに行きたい」以外に就職先について決めていたことはありますか? 
 
家から絶対に出る、あとは、病床数が多いところ、ですね。 わたしが就職した病院は1000床以上ある病院だったんですが、病床数が多いということで、同期や先輩看護師も多いですよね。人が多いところで働きたかったんです。 
 
人がいっぱいいるということは、それだけたくさんの正解・たくさんの価値観があるということ。いろんな人から学びたいって思って。 
 
看護師になる前から、<人と人>というのが自分にとってのキーワードだとは気づいていましたが、人と人が交われば必ず何かが起こりますし、たくさんの体験ができる。これを楽しみにしていました。
 
あとは、育休を取った実績があったかとか、保育園がついているかとか、女性が働きやすい環境が整っているかも見ていました。給料・ボーナスも見ました(笑) 
 
行きたいと思った病院に採用されてるわけですが、長谷川さんからみてどういう点が評価されたと感じますか? 
 
元気だったからかなー? 面接で見られてるのは、そのくらいな気がします(笑) 
 
もちろん、なぜ看護師になりたいのか、実習で何を学んだのか、なぜこの病院が良いのか、は聞かれます。でも、面接にはいたけど入職はしなかった人と、実際に入職した同期の違いは、礼儀正しくて、雰囲気がいいなと感じるかどうかだったなと思います。 
 

「やめよう」と思った配属先

 
最初の病院で、4年間神経内科病棟で勤務されるわけですが、これはご希望されたのですか? 
 
いいえ。まったく希望していなかったので、配属決まったときに「やめよう」と思ってました(笑)  もともと、消化器外科希望だったんです。小学生のときの父の入院は、消化器外科の疾患の手術のためだった、ということが大学で学んで分かったので。 
 
消化器が一番おもしろいんです、「わたし調べ」では(笑)  ここが、こうなったから、こういう治療をする、ということが分かりやすい領域なんですよね。消化器外科か、心臓血管外科か、脳外科かなと思っていました。 
 
そしたら、まさかの内科になりました。同期も全員希望通りにはなっていなかったですね。たとえば、心筋梗塞だったら循環器内科だろうな、とか分かるじゃないですか。でもわたしの場合は、神経内科にどんな患者さんが来ているのかもピンと来ていない状態から始まりました。 
 
「やめよう」と思った配属先で、4年勤務されたんですね。 
 
実は、4年間で最初の病院はやめる、と決めていたんですよ。 

実習先の病院を選ばなかったのと同じ理由で、同じところに長くいると、働きやすくもなるし、自分の力も発揮しやすくなるとは思うけど、環境に慣れきってしまいたくない気持ちからです。 
 
プリセプター制度がある病院だったんですが、だいたい4年目の看護師さんがプリセプターについてくださるんです。 
 
育てていただいたところで人を育てたら終わりにしようと思っていたので、科を変えることもなく神経内科をやり続けようと思って、それで4年で区切りになりました。 
 
今だから思うことですが、このあと転職も繰り返して、いろんな科・領域を見ることになりますが、神経内科は自分の看護観にフィットした科だったと思います。 
 

治す以外に見出せるやりがいに気づかせてもらった

 
どういった点が合っていたと感じますか? 
 
もともと外科を希望していたので、分かるように進んでほしかったんですよね。○○のために、△△をしている。というような。それで、元気になっていく、という目に見える結果がほしかった。 
 
それが、神経内科だと、たとえばてんかんだったり、神経難病、脊髄小脳変性症とか、パーキンソン病とか、「治る」ということがゴールではない方がとても多い領域で。 
 
筋力・臓器の機能が低下していった先に、人工呼吸器をつけるかつけないか、とか延命治療をどうするかという選択肢があるんですよね。そこに対して、医師からの説明があって、さてどうするか、と。ご本人にももちろん意思があるし、ご家族にも希望がある。 
 
多いのは、ご本人は「もういい。もしこのまま筋力が衰えていって呼吸が止まってしまうのならそれで構わない。むしろそうしてほしい」って。でもご家族は「呼吸器をつけてでも生きられるなら生き続けてほしい」って… 
 
この話し合いって正解がまったくないじゃないですか。 こういう中に、看護師として介入させていただけた。 
 
看護師として医療の視点を含めながら、ご本人とご家族の意思も尊重しながら、どういった選択肢が優先順位が高そうなのかを探し続けた4年間だったなと思います。 
 
目に見えて元気になっていく方にはあまり出会えなかったけど、望む形で最期を選べた方や、ご自宅で過ごしたいという希望を叶えて最期を迎えるためのサポートができました。
 
また、患者さんとそのご家族、病院の薬剤師さんや地域のケアマネージャーさんなどの多職種の方との間に、看護師が処置・手技的な役割ではない形で入ってベストを追う、ということもできました。
 
そういったことにやりがいを見出す看護師だったんだな、と気づかせてもらえました。 
 
配属が決まってすぐに「やめよう」と思ったところから始まりましたけど(笑)、看護師としての大事な部分を学ばせてもらえたと思っています。 
 
 

長谷川みゆきさんインタビュー連載

①公開中

看護師になるという決意~国家試験まで

②<本記事>

卒業後の進路決定~精神内科病棟での4年間

 

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