医学部受験で苦戦し2年間駿台予備学校にて浪人生活を送る中、予備校講師への憧れを持つ。
大阪医科大学在学中は、個別指導・家庭教師のアルバイトに加え、同級生・後輩への試験対策授業を率先して行う。「気づいたら10時間授業をしていた」「試験対策資料を作っていたら夜中の3時になっていた」など、教育が自分にとっての天職ではないかと思い始める。
卒後、洛和会音羽病院で研修。同院心臓内科に所属し循環器救命救急の最前線で働く。激務の合間に研修医・看護師教育にも精を出していたが、資料作りや勉強会の時間が確保できないことに悩んだ結果、医学教育を専門にするために同院を退職。
「必修レベルの知識が肌感覚で定着すれば一般問題対策・ひいては現場に出てからの学習もスムーズになる」と確信しており、動画講義「必修ラスパ」に魂を込める。「確実に理解できて、気づいたら覚えている」授業になるよう、「患者さんに説明しているかのように噛み砕いて解説する」こと、「重要事項を何度も繰り返す」ことをモットーにしている。